プロ用の街から人を招くまちへ

UR都市機構×勝亦丸山建築計画オンライン鼎談

日本橋横山町馬喰町問屋街が今、ユニークな都市再生プロジェクトを始めています。都市の再開発と聞くと、イメージするのはスピードや利益の最大化ではないでしょうか。しかし、今回の試みは、その逆とも言えます。手法のひとつが“買い支え”。コーディネーターを務めるUR都市機構が、今ある土地や建物を買い上げ、外からの開発のスピードを抑え、ゆっくりと考える時間をつくり、物件を実際に活用しながら、地元の人たちと将来像を描いていくという発想です。さんかく問屋街アップロードの皮切りとして、UR都市機構の木村しん、坪田華、町井智彦、そして「さんかく編集部」の一員である勝亦丸山建築計画の勝亦優祐と丸山裕貴によるオンライン鼎談を行いました。

撮り手:ナオミ サーカス
書き手:雨宮明日香
まとめ:大隅祐輔


変化に対応しようとするまちのこれから

上段左=町井智彦(UR都市機構)、上段真中=勝亦優祐(勝亦丸山建築計画)、上段右=雨宮明日香(書き手)、中段左=坪田華(UR都市機構)、中段真中=木津大輔(勝亦丸山建築計画)、中段右=木村しん(UR都市機構)、下=丸山裕貴(勝亦丸山建築計画)

問屋街に足を踏み入れたことがある人はどのくらいいるのでしょう? 東京の下町に育つと問屋はとても身近。日暮里にはかつて駄菓子問屋横丁があり、近所の子どもの誕生会にはまるまる買いしたくじが頻繁に登場していました。そんな横丁もなくなり、今は駅前の再開発ビルの中に1軒が残るのみ(たくましい)。すぐ近くの日暮里繊維街は、20数年前は「素人お断り」な雰囲気でしたが、みるみる柔らかくなり、小売客を増やすことで活況を見せています。昔はさらに入りづらかった合羽橋道具街は、今や観光地とも言えるほどで、訪れたことがある人も多いのではないでしょうか。

「日本橋横山町馬喰町問屋街」は、そんな東京の問屋街の中でも「プロ用」の色がもっとも濃く、店先にビシッと貼られた「小売しません」の文字は少し恐さを覚えるほど。今も日本最大級のファッション問屋街として多くの店舗がひしめく日本橋横山町馬喰町問屋街は、江戸時代から繊維問屋街として栄えてきました。

しかし、繊維・衣服卸売業の年間販売額はここ10年で激しく落ち込み、日本橋横山町馬喰町問屋街でも廃業が進んでいる。大型のマンションやホテルが建てられ整然とした外周と、混沌とした魅力をもつ中心部の問屋街とは、景観的にチグハグさが目立ちます。

この状況を地元の人たちが2年がかりで実態調査、2016年には「日本橋問屋街 街づくりビジョン」が制定され、「日本橋問屋街デザイン協議会」の指定を中央区から受けることになりました。これによって、建築物や工作物を計画する際には、事前にデザイン協議会との開発協議が求められるようになっています。つまり、地元の了解がなければ建築物が建てられず、問屋街らしい景観を守ることにつながるのです。また、翌2017年には「横山町馬喰町街づくり株式会社」が設立されました。

日本橋問屋街 街づくりビジョンが掲げるのは、「豊かなライフスタイルを創造し進化し続ける問屋を核とした商ェ住混在都心」。中心部がディープ問屋街、その周りを工住混在の商業エリアとして異分野の事業者が商業を行い、さらに外周には商業に隣接した都市型居住エリアをイメージしています。

ディープ問屋街のふたつの買い支え物件

UR都市機構は2016年からコーディネートで参加し、2017年11月に中央区と地元からの要請を受け、まちづくり支援をスタート。現在までに数軒の建物と土地を取得し買い支え、運用を進めています。

「大手町や虎ノ門のような国際競争力を高めていく場所は大事。でも、東京全体で考えれば、界隈性をもつ魅力的なまちを支えていくことも、国際都市としての魅力を高める方法のひとつ。人口減少時代に、高層のビルを建てる以外の方法を考えています」と坪田。

木村は「衰退傾向にある街を支える取り組みは地方でも必要。資産価値のある程度安定した都会のまちでまずモデルをつくるという意味合いもあります」と言います。

買い支え1号の、通称「1号」は木造2階建てがあった82.24㎡の土地を更地化し、隣接する中央区所有の駐車場「YY(ワイワイ)パーク」を一帯的に活用。運営をするのは、野外で映画を楽しむ「ねぶくろシネマ」などを手掛ける合同会社パッチワークスの唐品知浩さん。ここはまちの面白さの再発見をする場所となる予定です。

「2号」は、1号物件の斜め後ろにある4階建のビル。運営者は、合同会社冨川浩史建築設計事務所代表の冨川浩史さん。2020年の3月から5月までリノベーション工事を行い、入居をしてまもなく1年が経ちます。1階は地域に開放したイベントスペース、2階以上を事務所にし、日本橋横山町馬喰町問屋街で創造活動を行うクリエイターを誘致することでプレイヤー同士の長期的な関係構築を目指していきます。

それぞれ、日本橋横山町馬喰町問屋街に存在する土地の形状や建物の代表的な特徴をもち、これをプロトタイプとして応用が可能になります。数多く存在する旧耐震基準(1981年5月31日までの建築確認において適用された)で建てられた建造物も課題のひとつ。更新の難しさを抱えています。

「この街にはあまりに旧耐震が多いので避けて通れない。取り組んでいかなければ」と坪田。

問屋街ならではのカオスな魅力

UR都市機構が描く街の将来像に、「圧倒的に圧縮的に店舗が立ち並ぶ個性的な空間を有するまちであり続ける」とあります。そんな継承していきたいまち並みの魅力はどこにあるのでしょうか。

「屋上の風景は面白い。細長いビルに一階分増築してあったり、さらに倉庫が載っていたり。屋上から見ると小屋がずらっと並ぶ別の地形が見えた」と勝亦。

坪田は「カオス感があって魅力値でもある。避難経路の問題もあるし、もちろん違法はダメだけれど、問屋街に必要な機能で面白いものは適法化して継続することは考えたい」と言い、「洗練され過ぎる前のブルックリンみたい」な雰囲気も同時に感じたそうです。

「東京の真ん中に、店主が店の前で座って店番をしているような、ゆったり時間が流れる場所があるのは不思議」と丸山。

勝亦の印象に残ったもうひとつの光景が、ホテルやマンションの1階に痕跡のように残る3坪ほどの店舗です。「オーナーさんの気持ちは気になります。これが本当に豊かなのか」。それは、1997年に中央区が制定した地区計画によるもので、もともとは1階を店舗にすることで商業空間の連続性を守るための策。「これも本業を続けるための正解の手法ではあるけれど、ほかの選択肢も探したい」とは坪田。

「マニファクチャー(工場制手工業)」や「生きがいとしての生業」もこれからのキーワードとして上がりました。日本橋横山町馬喰町問屋街の建物の特徴は、ショールーム+倉庫的な機能をもつこと。窓があまりなく仕切りもない広い空間は、工房にも向いているのではと期待されているそう。まちづくりビジョンにある「商ェ住混在都心」。「ェ」の字が小文字なのにも意味があります。工業の「工」ではなく小さな工房の「工」のイメージ。そんな工房を構えるクリエイターの誘致も望んでいます。丸山は「つくっている途中に、つくっている人同士でコミュニケーションとれる、そういう土壌が無意識的にこのまちにある」と話します。

将来像はぼんやりとが肝要

UR都市機構の役割である「自立したまちづくりの仕組みづくり」は、まずコトが起こり、ヒトが集まることで、従来とは異なる分野のプレイヤーや商業が入ってきて、まちが進化することを目指しています。それをぐるぐると繰り返していき、まちの価値を上昇させていくイメージです。

木村は「周辺の地価の上昇率と比べてこのエリアだけ明らかに上がっていなかった。問屋街としての色が強く、それがまちを守ってきた。ここ3、4年じわじわ地価が上がっているのはマンションやホテルというまちが望まない需要。べらぼうに地価を上げるのではないかたちの上昇をもたらすまちづくりをしたい」と言います。

「CET(セントラルイースト東京)の活動が起こったエリアで、クリエイターやアーティストが一定数存在する。新しく入ってくる人を呼ぶためのニーズを把握し一緒に活動できるスペースの整備をしたい」と町井。

プロのための街から人を招くまちへ。丸山の「どういう人が入ると面白いですか?」という投げかけに対する、「ぼんやりした地元の人のお手伝いというか、こういうまちにするんだ、こういう人を呼びたいというのを我々がもって入らないことが大事」という木村の答えが印象的でした。「将来像も書き換えながら進めていきたい」とも言います。

「卸しの人には流行をつくるプロデューサーという面もある」という坪田の視点も面白い。「次の時代に必要なものを生み出す機能がこのまちのアイデンティティのひとつ」。


生み出すと住むと暮らすが一体となったようなまちは、ウィズ・アフターコロナの時代に求められる価値でもあるかもしれません。いつの時代もファッション流行の発信地を担ってきた問屋街から、どんな新しいライフスタイルが提案されていくのかを楽しみです。

このプロジェクトを面白がってくれる人を随時募集しています。今後も続報をお伝えしていく予定です。