ジェネレーションが散るまちに

▽02 建物“参画”の先輩:冨川浩史さん(冨川浩史建築設計事務所代表)

日々、色々な発想が紡がれ、新しい建物や空間の姿が組み上げられていく建築家の事務所。そんな聖域のような場所が開放されたら? アイデアのタネ・ネタに触れることができて、何なら訪れた人にもおすそ分けできたら? 日本橋横山町馬喰町問屋街にある4階建てのビルをリノベーションした建築家の冨川浩史さんの事務所は半オープン。1階部分が開かれた、風通しの良い交流の場になっています。そうした理由は、問屋街ならではの建物の造りとある問題意識があったからでした。

聞き手:勝亦優祐
撮り手:ナオミ サーカス
書き手:大隅祐輔


冨川浩史さん

建築設計、インテリア、家具デザイン、さらには地域産業に関わることまで、様々な分野を横断しながら活動している合同会社冨川浩史建築設計事務所の主宰。

合同会社冨川浩史建築設計事務所|http://www.siestaweb.jp


きっかけは路線図から

冨川浩史建築設計事務所最上階のミーティングスペースにて。

勝亦:まずは冨川さんがどうしてこのエリアに興味を抱かれたのかをお聞きできたらと。今の事務所の近くに以前、ご自宅もあったんですよね?

冨川:そうですね。はじめてこのエリアに来たのは、独立したタイミングだったんです。17年前くらいかな。その前に勤めていた事務所が世田谷で、大学も比較的その近く。僕の実家は北品川にあって、生まれ育ったのは下町にあたる城南地区。それで、せっかく独立するなら、あまり関わりのなかった場所に行きたいと思い、地下鉄の路線図を見て探し始めて。

勝亦:路線図から探すっていうのは面白いですね。

今回の聞き手、勝亦丸山建築計画の勝亦優祐。

冨川:その勤めていた事務所が不便だったんですよ。最寄り駅から15分は歩かなくてはならなくて。僕は車を持っていないので、電車移動の利便性が高い方が良かった。路線が集中している場所は他にもあるんですが、江戸っ子気質だから、東京の東側の方が居心地が良くて。それで最初に目星をつけたのが馬喰町でした。その頃、CET(セントラルイースト東京。2003~2010年まで開催されていた、アーティスト、デザイナー、建築家などが混在したイベント)という、このあたりにある空き家を活用したイベントが行われていて、それに関わっていた人たちを知っていたので、元々興味があったんです。さらにはリノベーションされた建物を事務所兼自宅にするのが良いと当時から思っていて、いざ探したら改装されたばかりのものがちょうど見つかったので移り、現在そこは自宅としてのみ使っています。

勝亦:今はご自宅と事務所を分けているわけですが、その経緯は?

冨川:ひとりでやっている時は良かったのですが、スタッフを雇ったこともあり、自宅でやることの限界を感じて事務所を外に借りました。近くの東日本橋2丁目にあった当時築43年目のRC造の古いビルの5階で、100㎡くらいのスペースを、グラフィックデザイナーと写真家の方と3組で「柳橋日和」というシェアオフィスとして改装しました。2007年の夏です。シェアメイトが抜けた後は自分達のオフィスとして使っていましたが、オーナーが替わったタイミングで老朽化のために建て替えをするという話が出ました。そういった経緯から移転先を探し始めた中でここに出会いました。

冨川さんが以前、自宅兼事務所として使用していたビルの工事前風景。
リノベーション後。多くのインテリアはオリジナルです。

冨川:最初はUR都市機構が新たに“買い支え”をする物件ということで、オブザーバーとして声をかけてもらい、どう活用すべきかと相談を受けたんです。日本橋横山町馬喰町問屋街ならではの建物の特長なんですが、1階が店舗でその奥に階段があって、2階からのお客さんも見ることができる倉庫へと繋がっています。すると、なかなか賃貸物件としては切り分け辛くて住まいにしにくく、飲食店などにするには大き過ぎる印象でした。つまり、上へ行くためには1階を通らないといけないため、1棟丸々使う意味を見出せる方がベターだと。ただ、全部を使いこなせる人はあまりいないだろうなと思い、事務所が手狭になってきていたので、自ら挙手をしてプレゼンしたんです。20年近く建築・設計の仕事をしていると、あらゆる層のあらゆるクライアントと仕事をして、男女年齢問わず、色々な人と関わるようになります。建築事務所をオープンにしておけば、まちとは関係がなかった人がたくさん来るようになり、建物そのものや景色といった面白い特長を共有できるだろうと考えました。

冨川さんの事務所入り口。元が問屋さんの店舗のため、口が開いているような造り。
2~4階へは1階の奥にある螺旋階段から登っていきます。元々、上階は倉庫でお客さんがそこにも踏み込めるよう、こういった構造になっています。
冨川さん曰く「事務所として法適合させるために上階にガラスを設けた」そうですが、以前は開放されていました。

冨川:僕たちの事務所に訪れる方の多くは何かしらの専門性をもっていて、例えば照明器具や塗料といった身近なものから、素材から開発する特殊なものを提供している。その方々と組んでワークショップをやれば、“外”の人との交流の場になるのではないかと考えたんです。それで事業者として公募に参加、1階をそういったスペースとして、上を事務所として使うハイブリッドな機能をもたせるといった主旨をUR都市機構に提案し、最終的に我々が選ばれました。新型コロナウイルスが影響してしまい、まだしっかりとは機能させられていませんが……。

勝亦:僕も冨川さんの事務所にお伺いさせてもらう時、実際にそういう体験をしているなと思うんです。1階ではレクチャーをやっていたり、上に上がると照明とか、同業者として気になるものがある見本市のように飾られていて、最上階に行くと日本橋横山町馬喰町問屋街ビューが臨める。冨川さんらしい機能と街のオリジナリティが融合しているあり方って、空いてしまった間口が狭くて、奥が長い物件を友好・有効的に使うプロトタイプだよな、と。

冨川:僕の事務所の取り組みはUR都市機構にとって2番目。1番目が「+PLUS LOBBY」なんですが、建物だと最初ではあるので、パイロットプランにならなければならないという意識はありましたね、確かに。地元のような愛着もありますから。

ミーティングスペースの窓から見える景色。電信柱がちょっと飛び出しているのを目の前で見ることができるところが珍しい。
こちらはリノベーション前に作られた模型。1階のスペースに展示されています。

悪い意味で分かりやすい場所

勝亦:約17年間、過ごされてまちの変化はあったのでしょうか?

冨川:以前は手つかずの自由さがあったんですが、今は不自由になってしまいましたね。

勝亦:それは何故でしょう?

冨川:マンションがたくさんできて、外から人がたくさん入ってきたことが大きな要因だと思います。それはそれで良いことなんです。飲食店ができ、そこに人が集まったりということも起きていますから。ただ、入ってくる層が限定的なんです。マンションが建ち始めたのがリーマンショックの少し前。東日本大震災の前後でさらに桁が増えました。その間取りの多くが60平米くらいの1ルームで、今で言うシニア層と呼ばれる方々が郊外から、より便利なところをと移ってきたり、所得が高い比較的若いご夫婦が購入したりし続けています。つまり……

勝亦:層がアンバランスですね。

冨川:そうなんです。入ってくる人を選別するような仕組みになっちゃっていると思うんですね、結果的に。場所に関心があるわけではなく、物件や立地が良くて入ってくるので、元々住んでいた人は新しい人に対してケアをしなくてはならなくなり、段々と息苦しくなってくる。さらには、例えば2、3万円のシェアハウスがあるわけではなく、あっても基本的に高いので、学生さんが住めるような場所ではない。

勝亦:そういった問題は僕も以前から考えていて、多様性がないとまちが死んでしまうんですよね。人がどんどん来るっていうことはある一定のニーズが高まるから、物件の金額が上がっていって、ふるいにかけられてしまう。逆にディベロッパーからしたら、ターゲッティングはしやすいわけですよね。

冨川:そうですね。とても分かりやすくなっている場所だと思います。

ポイントは不活性化

冨川さんの事務所がある通りの風景。

勝亦:その分かりやすさは複雑にしていった方が良い。

冨川:そうそう。多様性を作るということは、一言で言い表せないような状況を作ること。そのためのアクションを僕たちは起こす必要がある。言うなれば、そのアクションはダウンサイジング。不活性化というか。活性化はまちに無理をさせることが前提ですから、その逆。

勝亦:強制的に活性化させると、元の営みが消えてしまうんだと思います。資本主義に則ると先に箱ができるわけですが、営みがあった上で建築があった方が本来的なはずです。なので、ハードルを下げて、ここの場所を好んで入ってくれる人に来てもらい、現状を大きく変えない小さな営みを取り入れていくことが、これからのテーマではないかと。

冨川:ハードルを下げる方法としては、安価なシェアハウスを作るということがまず考えられると思いますが、シェアハウスは若い人が関わるものという印象がおそらく強い。けれども、高齢者の方がシェアハウスを運営したり、住んだりしても面白いと思うんです。あと、子どもたちが集まれる子ども図書館や習い事ビルなんかがあっても良いし、これからはもっとジェネレーションが散るような状態を作っていきたいですよね。

編集後記

ワークショップに〇〇シェア。耳にタコができるくらい日々、聞く言葉ですが、この場所ほどそれを必要としているかもしれません。こんなことを思い出しました。フランスのカフェでは席につくと、まずワインのボトルが置かれる。でもそれは自分用ではなく、その後、隣の席に座った人のグラスに注いであげるもの。誰かが持ち寄ったもの(またはアイデア)が誰かの手に渡って、次はその人が何かを持ち寄る。そういった贈与の循環が、冨川さんの事務所ではこれから起きてくるのではないかという気がしています。

―編集・大隅